
もっとBOOKMAN有志メンバーである丸善岡山シンフォニービル店の山本さんが、人文書担当として尊敬する月曜社の小林浩氏に質問をさせて頂いたところ、BOOKMAN達に熱い言葉を頂けました。
「もっとBOOKMAN2016」( http://www.morebookman.com/ )の皆さんより、丸善岡山シンフォニービル店・山本千紘さんに集約していただいたご質問にお答えします。
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――小林さんが月曜社をやろうと思ったきっかけは何ですか?
小林・・・私はまもなく48歳になります。先輩と一緒に月曜社を創業したのは32歳の時です。そもそも自分自身で出版社をやりたいと思ったのは大学生の頃でした。小学生の頃は冒険家になりたいと思っていました。テレビ特番「水曜スペシャル」の川口浩探検隊に憧れていたのです。近年では藤岡弘、さんが引き継いでいるあれです。見知らぬ世界やそこに潜む数々の不思議に魅了されていました。
40年近く前の古い話で恐縮ですけれども、小学生当時、学研の「ジュニアチャンピオンコース」や「学研まんが・ひみつシリーズ」、立風書房の「ジャガーバックス」、小学館の「なぜなに学習図鑑」といった、児童向けの図解本が花盛りで、熱心に読んでいたのを思い出します。同時期には、講談社の「少年少女講談社文庫」で国内外の文学の名作や現代のSFやノンフィクションといった様々なジャンルの作品に触れることができましたし、ポプラ社の「少年探偵」シリーズにも熱中していました。
ほかにも色々な本を列挙しなければなりませんが、読書と想像力という万能の乗り物に乗って、過去へ未来へ、はたまた異国の地からミクロの世界、宇宙の果てや別世界まで、時空を超えた旅に出るのが大好きでした。実際に旅に出る冒険家と、空想上の旅を提供する出版人には共通点があります。私はやがて、本という広大で果てしない世界をめぐる冒険にたずさわる仕事をしたいと思うようになりました。
――なぜ人文を主とした出版社にしたのでしょうか?
小林・・・自分なりに原点を探ってみると、小学生の私に深い印象をもたらしたものには、「水曜スペシャル」や「ジュニアチャンピオンコース」「少年少女講談社文庫」などのほかに、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」や、五島勉さんのベストセラー『ノストラダムスの大予言』シリーズなどがありました。「ヤマト」の世界ではご存知の通り、地球は環境汚染によって滅亡寸前に追いやられています。公害は長らく、大きな社会問題になっていて、学校でも社会の授業などで扱われていましたから、子供心に「このままじゃいけない」と思っていました。そこに世紀末をめぐるノストラダムス・ブームが重なって、人類の危機というものにある種のリアリティを与えていました。自分の生きる世界に未来はあるのか。それは子供にはとても重い難問でした。そうした少年期に後年の人文書への興味の萌芽があるような気がします。
中学生の頃もっとも好きだったのは高千穂遥さんのSF作品「クラッシャージョウ」シリーズでしたが(テレビアニメでは「超時空要塞マクロス」です)、高校生になるとカフカ『審判』や埴谷雄高『死霊』の暗い世界観に魅入られました。徐々に私の読書傾向は、物語や文学から、もう少し物事を深く掘り下げるような思索的な方向性を帯びてきました。自分が生きる世界の意味や理屈が気になるようになってきたのです。大学生になって哲学や現代思想の本に触れるようになりました。なかでもウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』との鮮烈な出会いは特に思い出深いです。
テレビニュースや新聞などのマスメディアが伝える情報というのは、時間も空間も限られていて、自分にとっては満足のいくような「世界の説明」はなかったのです。人文書が扱う時代や地域にはより幅広い大きさや底知れない深みがあって、マスコミが伝える「世の中」の奥や背景が見えてくるように感じました。冒険心がくすぐられるのはどちらだったか。新聞やテレビではなく、人文書でした。また、人文書には、科学が制限したり排除したりしてしまうような想像力の羽ばたきを許容する懐の深さがありました。これは大きなポイントです。
――小林さんの思う良い本とはどんな本ですか?また、売れてほしい本は?
小林・・・私が思う良い本というのは、人間にとって過去から現在までずっと変わらずに問われ続けているような問題系を扱っている本です。時代が移り変わり、科学技術が発達して知性が向上していくように見えても、人間の根本的な賢さや愚かさというものはほとんど変わりません。だからこそ歴史は繰り返すのですね。たとえば人類の存亡に関わるような戦争や平和といったテーマの重要性は変わりようがありません。過去に真剣に学ぶならば、人間はもっとよりよく生きることができるはずです。
古典や名著と言われるものが廃れてしまうことなどない、と私は感じています。売れてほしい本というのはそうした古典や名著であり、そこに読者を引き寄せてくれるような本です。試みに3冊だけ挙げるなら、自分にとってはマルクス・アウレリウス『自省録』や、洪自誠『菜根譚』、カール・ヒルティ『幸福論』です。いや、せめてもう一冊、沢庵『不動智神妙録』も挙げずにはいられません。オイゲン・ヘリゲル『日本の弓術』も捨てがたい。考えてみると名著の輪はどんどん広がりそうです。
――哲学書といえば難しいイメージがあります。当店にもあまり多くはないのですが、なかなか良く動いてはいません。もちろん選書によるとは思いますが、どのように仕掛けていけばお客さんがついてくれると思いますか?
小林・・・かつてヨースタイン・ゴルデルの『ソフィーの世界』がベストセラーになった時、そこで紹介されているプラトンやカント、ヘーゲルなども売れるようになったかと言えば、「そうでもなかった」というのが本当のところだったように記憶しています。マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』がよく売れても、ほかのコミュニタリアンへ読者の食指が伸びることはなかなかないし、サンデルが参照したからと言ってアリストテレスがバカ売れするわけでもありません。
ベストセラーとまではいかなくても、ここ最近の哲学思想書では、クァンタン・メイヤスー『有限性の後で』に代表されるようなSR(思弁的実在論)が流行っていますね。それとの鋭い対立軸を有する新実在論(たとえばガブリエル・マルクス)も紹介され始めています。また、水声社の「叢書・人類学の転回」などで次々に翻訳されているような、越境的な新しい文化人類学的な知の実践も注目されています。さらに日本の書き手で言えば、國分功一郎さんや千葉雅也さん、佐々木中さんや栗原康さんといった魅力的な若い世代が続々と登場することによって、活況を呈していますし、雑誌を見ても、「HAPAX」「ニュクス」「ゲンロン」といった新創刊が相次いでいます。粒揃いの好い波が生まれていて、以前に比べれば追い風と言っていいくらいです。
厳しいことを言うと、それでもやはりなかなか大量販売には結び付かないというのが現実かもしれません。私が考える一番の仕掛けは、書店員さんがそれぞれのマイブームをてらうことなく前面に押し出すというものです。人文書は読んでいなくてマンガだけです、という人がいたとします。それなら、大好きなマンガを人文書に混ぜて売ればいいと思うのです。
もうずいぶん昔の話になりますけれど、紀伊國屋書店新宿本店で長く続いているフェア企画「じんぶんや」の記念すべき第一回で、私も選書人の一人をつとめたことがありました。あえて人文書は選ばず、宮崎駿の『シュナの旅』や『風の谷のナウシカ』を推しました。数々の人文書を差し置いてそのフェアで一番売れたのは『シュナの旅』でした。
ジャンル違いの本の売上をどうカウントするか、という社内的な問題は今は脇に置きます。私にとって『シュナ』や『ナウシカ』はれっきとした哲学書です。手塚治虫の『鉄腕アトム』や『ブラック・ジャック』は倫理の難問を次々と問うし、岩明均の『寄生獣』は読み手に人間の存在理由というものをつくづくと考えさせます。今、私はコミックスばかりを挙げましたが、書店員さんにとって「これが哲学だ」という本があれば、それがどんなジャンルの本であれ、情熱を込めて売ってほしいのです。POPを工夫し、陳列方法に知恵を絞れば、それが読者を惹きつける最大の仕掛けになるはずです。そうした本をアクセントにして、フェア台や書棚を活性化させてほしいです。
――人文書の棚の作り方でおすすめがあれば教えてください。
小林・・・棚の編集術というのは終わりがないものですから、これが唯一無二の答えだ、というのはないと思います。先に述べたように、新刊であろうが既刊であろうが、ジャンル違いの本であろうが、自分が「おいしい」と思った本を気持ちを込めて並べるのが一番だろうというのが、私の経験上の実感です。不思議なことに、気持ちの籠った、手入れされた棚というのは、読者にその波動とでも言うべきものが伝わるようです。同じ本を売っていても、売れ行きを如実に左右します。
だだ、そういう自分になるためにはやっぱり色んな本を味見しておく必要があるでしょう。編集力の基礎となるのはつまり、担当者お一人お一人の情報量や読書量です。それぞれのジャンルの入門書が出るたびにひもといて勉強し続けるほかはありませんし、お店の内外でより多くの新刊や既刊に触れる機会を作る必要があります。また、情報をアップデートし続けることが重要であることは言うまでもありません。書店で働くにせよ、版元で働くにせよ、これらのことは誰にとっても大事です。すべてを知ることが不可能であっても、どんな方法で調べればわかるか、そして誰に聞けばてっとり早いかを知っておくべきだ、とは、某書店のベテラン書店員さんの言葉です。
それらを念頭に置いたうえで、棚の作り方で強いてお薦めするポイントがあるとすれば、自分と同世代の書き手の本を大切に扱うというのが、ひとつの答えになりえるかもしれません。時代をともに生きてきた同世代の書き手の本は、ほかの世代以上に胸に刺さるものがあるはずです。同世代のクリエイターたちと末永く付き合っていく。そうした中で、書き手も売り手も読み手も一緒に成長していくだろうと思います。
――月曜社さんの出版物で一番思い入れのある本と岡山の本屋におすすめしたい本をを教えてください!
小林・・・一番を選ぶのはなかなか難しいのですが、思い入れもあってなおかつ一番売れた本というのは月曜社の単行本第一弾である、ジョルジョ・アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの』(2001年9月刊)ですね。岡山の書店さんにお薦めしたいというか、たぶん皆さんのお目に留まりにくくなっているに違いない本を挙げておくと、『猪瀬光全作品』(2015年3月刊)です。買切本なので全国で数店舗の書店さんでしか扱われていませんし、猪瀬さんは寡作な方なので写真集自体がレアなのです。猪瀬さんの写真の強烈なインパクトには言葉以上の喚起力があります。写真もまた、一個の哲学たりえるのです。
――編集者として小林さんが大切にしている事があれば教えてください。書店員に伝えたいことがあればお願いします。
小林・・・まず根本的な話をすると、編集者にとってはもちろん、生きる上で大切なのは、物事を楽しんだり喜んだりする「発見力」ではないかと思います。働くことと生きることは別々のものではありませんし、誰かのものではなく自分が実現するものです。それが「発見力」です。生きづらい時代だからこそ、働くことと生きることを喜びで結び直すことが重要ではないでしょうか。
「喜び」というものは、本質的には自分以外の誰かと分かち合ってこそ価値が生まれます。私は科学史家のジョージ・サートン(George Sarton, 1884-1956)の次の言葉を信じています。曰く「物質的な富は、おたがいの分け前を減らすことなしには分けられない。しかし私たちの精神的な財宝、私たちの人生の最も善きものは、それとは正反対に、分け前にあずかる人の数とともに増大するのである。人生が生くるに値いするのは実にこの奇蹟のためである」(「日本の読者への原著者序〔1950年5月〕」森島恒雄訳、『科学の生命――科学的ヒューマニズム』所収、中教出版、1951年;玉川大学出版部、1974年、4頁)。
私から書店員さんに伝えたいことは、これからも本屋という本の森を豊かに耕して私たち読者を楽しませ続けて下さいということです。私が大好きな、アメリカの書店員であるロバート・D・ヘイル(Robert David Hale, 1928-2013)さんの言葉を贈ります。「本の真の実質は、思想にある。書店が売るものは、情報であり、霊感であり、人とのかかわりあいである。本を売ることは、永久に伝わる一連の波紋を起こすことである。最初の波は本を読んだ人に伝わる。読者は本の内容を楽しんだり、利用したりする。ついで波は、真面目な議論や愉快な話として、ほかの人々に伝わっていく。本の真の実質は、読者に対する人生上の影響にあるのである。/書店は、書棚に魔法を満たすことも、嵐を吹かせることもできる。歴史小説は、読者を真実の探検に送りこみ、読書による体験をあたえる。旅行書は、実際にそこへ行く以上に場所の感覚を盛りこんでいる。詩は深いものの見方と洞察を人にあたえる。書店人は、人々を日々の抑圧から解き放し、楽しみ、希望、知識を人々に贈るのである。書店人が、特別の人間でなくてなにあろう」(「書店人とは?」、『書籍販売の手引――アメリカ書店界のバイブル』(米国書店組合連合会編、豊島宗七訳)所収、日貿出版社、1982年、xix頁;"Preface. Booksellers: What Are We?", in A Manual on Bookselling, Third edition, Harmony Books, 1980, p.xv)。
この名言を読み返すたび、私は涙ぐんでしまいます。私を育ててくれたのは新刊書店であり、古書店でした。私は80年代末から90年代初めの大学生時代にリブロ池袋店へ毎日のように通い、人文書売場の伝説的な「コンコルディア」棚であればどの本がどこにあるかをすっかり覚えてしまうほどでした。また、早稲田通りの古書店街では毎回何軒もはしごして、締めに芳林堂池袋本店ビル内にあった古書店の高野書店に立ち寄るのが私のお気に入りのコースでした。
――ウラゲツブログに助けていただいた人文担当は多いと思います。ブログを始めたきっかけや反響についてなど聞きたいです。
小林・・・月曜社には広告のための予算がほとんどありませんから、自力でできる宣伝ツールとしてブログを2004年に開設しました。自社本や関連イベントをただ宣伝するだけなのではなくて、自分が興味を持っている他社本や、関心がある業界情報にも言及するようにしています。近年でアクセスがもっとも多かったのは、栗田や太洋社など、取次をめぐる発言でした。本の紹介よりアクセスが断然多くて、複雑な気分です。
人文書の新刊紹介をブログでやるようになった前段にはそもそも、ブログ開設前に、オンライン書店「bk1」(現・honto)のレヴュワーとして毎週「人文レジ前」というコーナーをやっていたことや、元書店員さんたちと1999年に立ち上げた「[本]のメルマガ」で最初の10年間、現代思想系の洋書新刊の紹介を中心とした連載を持っていたことなどに遡ります。
このメルマガの前身は三省堂書店神保町本店の「神保町新聞」です。現在は中国古典関連の著述業で良く知られている守屋淳さんが、書店発の情報発信に強力なリーダーシップを発揮されていました。いっぽうbk1ではオープン当初に元・往来堂書店の安藤哲也さん(現・ファザーリング・ジャパン)が「安藤書店」という読み物コーナーを持っていて、そこでは私は出版社起業記を書かせてもらっていました。同時期に、メタローグの『今年読む本イチ押しガイド』や書評誌「レコレコ」、NTT出版の「インターコミュニケーション」誌でも人文書の新刊紹介を定期的に寄稿していました。
そうしたライター仕事を始める前には、一営業マンとして、とにかく人文書業界を盛り上げるためなら何でもやりました。閉店後の書店で時間いっぱいまで店員さんと棚を改造する作業に勤しんだり、毎年のように哲学思想書のレポートを作ったり、フェア用の選書リストをいくつも作ったりしたことは良い思い出です。私が本格的に編集の仕事を始めたのは月曜社を立ち上げてからです。それまでは(編集に携わった時期もありますけれども)、人文系版元を渡り歩く営業マンでした。
それは1993年から2000年にかけての話です。もともと書店通いが大好きだったので、営業の仕事は本当に楽しかったです。仕事と称してリブロ池袋本店恒例の「在庫僅少本フェア」に朝一で乗り込み、背取り屋さんたちと僅少本を奪い合ったり、同店のカリスマ書店員として有名だった方々のお話を聞くのは、たまらなくうれしいことでした。店長の今泉正光さんの棚前講義(要するに立ち話です)をじっくりと聞くことができたり、外国文学のご担当だった小山富士子さん(現・古書肆マルドロール)から陳列テクニックについて話を伺ったりしたことは、胸に強い印象を残しています。
出版社は自社本を売りたがりますが、書店さんは様々な版元の本を扱いますね。一読者として見ても、私には当然後者の立場に理があるように思えましたから、自社本を推すだけのストロングスタイルの営業ではなく、他社本を含めた書棚構成や売場全体のことを考えている書店員さんのご苦労に寄り添う方が好きでした。こうした私のスタイルは他社の営業の先輩から「君が勤めている会社の本の売上アップにどれだけ貢献しているのか」とよく心配されたものです。書店員さんに協力して書棚やフェアにしっかり手間を掛ければ必ずジャンルの売上はアップしますから、自社本の売行にももちろん好影響が及びます。ですから人にどう言われようと、自分の信じるやり方に日々邁進していました。
そういうスタンスのせいか、月曜社で営業だけでなく編集の仕事も並行して始めた時、他社の営業マンからは「あいつはもう編集だから」と思われたり、他社の編集の方々からは「彼はそもそも営業だよね」と言われていたかもしれません。けれども、境界線上に立つのが出版人の仕事の醍醐味なのですから、私は自分の曖昧な立ち位置にむしろ満足していました。曖昧な、はっきりしない立ち位置からしか見えないものやできない仕事もあるはずです。ブログで比較的自由に書いているのも、そうしたスタンスを保持しているからです。自分の関心の幅をなるべく隠さずに読者に見せることによって自社本の制作背景を知ってもらい、本だけでなくそれに携わる人間にも興味を持ってもらえるようになることが重要だと思っています。そうした試みが果たして成功しているかどうかはよく分かりませんが、良くも悪くもこれが自分なのです。
――小林さんの目から見て、岡山の書店、書店員主体のブックマンは今後どのような影響を業界にもたらすと思いますか。
小林・・・率直に言うと、業界全体の書籍雑誌の売上推移を見る限り、従来型の書店さんの数は今後ますます減っていくだろうと覚悟せざるをえません。版元も当然減るでしょう。業界再編が進み、大規模なシステムやインフラは維持しきれなくなり、断片化や小規模化の波が押し寄せています。
「もっとBOOKMAN」は勤務先が異なる若手の書店員さんたちが主体的かつ会社横断的に運営されていると聞きます。東京のような大都市ではそれぞれの業界人が往々にしてバラバラに行動せざるをえず、地域の一体感は作りにくいかもしれません。岡山の皆さんのほかにも、名古屋や京都、福岡など、会社や立場を超えて書店員さん同士や版元が交流する場を持てる地域がありますね。そうした事実には希望を感じますし、羨ましいです。これからも地域に根差しつつ、業界や企業の枠すら飛び越え、異業種や自治体、商店街などとも連携して、「本とともにある岡山」「読書人の岡山」へと盛り上げて下さることを念願するばかりです。街づくりや郷土文化づくりという壮大な計画に発展される可能性も生まれてほしいです。
たとえ一見地味には見えても、本の世界を変え、発展させていくことは、地域を再創造し、社会を作り直し、文化を耕し、国を変革していくことに繋がっていきます。本に携わる仕事をしているということは、実は人間にぞっとするほどの影響を及ぼしうるのですね。人間に「心」というものがある限り、心に訴えかけるメディアもまた滅びることはないでしょう。私たちの人生は一人一人にとっては有限ですが、一人一人が手をたずさえていけば未来に繋げていくことができます。
私がかつて奉職した未來社の西谷能英社長は、「出版とは闘争である」と書かれたことがあります。私はこう補足したいと思います。「出版は文化をめぐる無限戦争だ」と。出版は言葉を簒奪するものや言葉を乱用するものとの闘いなのです。人を高圧的に黙らせたり、あるいは際限なくお喋りにさせたりするものは、私たち出版人にとって本来的な敵対者なのです。
ただ、出版社が新刊の洪水を引き起こしたり、一部の出版人がいいかげんな言論を垂れ流しているのも事実です。書店員さんには十把一絡げに「版元」と一括りにしてもらいたくはありません。あれもこれも「本」ではあっても、内容は千差万別です。これは実際難しい話です。ある人にとっての毒が別の人にとっての薬だというのは真実ですが、ほとんど毒でしかないものや悪書なるものが「ある」と言っていいものかどうか。私ははっきり言うべきだと思います。毒や悪はこの世にたしかに存在する、と。そしてこうも付け加えるべきでしょう、それは薬や善と混じり合ったかたちでしかこの世に現れない、と。言葉は薬でもあり毒でもあります。善ともなり悪ともなりえます。
悪の問題には古くから様々な哲学者が取り組んできました。世界は二項対立のもとにあるという以上に、二面性や両面性のもとにあると言うべきでしょう。書店員さんはそうした二面性や両面性の境界に常にさらされている存在なのだと言えます。シャルル・フーリエ(François Marie Charles Fourier, 1772-1837)は『四運動の理論』でこう言っています、「中庸の美徳にとどまることなく、たえず両極端の方針のあいだを右往左往することこそ、文明の背負った宿命なのである」(巌谷國士訳、現代思潮新社、新装版2002年、下巻127頁;Théorie des quatre mouvements et des destinées générales , Leibzig, 1808, p.373; Parties 2, 3, annexe..., Les presses du réel, 1998, p.152)。
私たちはおそらくもう一度フーリエの卓抜な社会論、とりわけその商業封建制の批判に学び直すことができそうです。フーリエの警告はいまなお活きています。いまは詳しく立ち入りませんが、私は『四運動の理論』の読書会を「もっとBOOKMAN」の皆さんとやってみたい気持ちでいます。
年に一度の催事のほかにも、そうした読書会や交流会が定期的に(月に一回とか)行われるといいですね。出版不況や出版危機が指摘されるこんにちこそ、会社の枠組みを超えた問題意識の共有や深化が必要になってくるように思えます。エドワード・W・サイード(Edward Wadie Said, 1935-2003)はこんなことを講演で言っています。「人文的文化は共存と共有の文化である〔humanistic culture as coexistence and sharing〕」(村山敏勝・三宅敦子訳『人文学と批評の使命』岩波書店、2006年;岩波現代文庫、2013年、xii頁;Humanism and Democratic Criticism, Columbia University Press, 2004, p.xvi)と。この言葉の意味をかみしめたいと思います。【2016年5月13日】
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小林浩(こばやし・ひろし):月曜社取締役。1968年生まれ。早稲田大学第一文学部人文専修卒業。未來社営業部、哲学書房編集部、作品社営業部を経て、2000年12月、有限会社月曜社の創業に参画。編集と営業の両面から人文書の普及に従事している。ウラゲツ☆ブログ http://urag.exblog.jp